せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

海はすべてを肯定する

海に来た。別に海に来るつもりもなかったのだけれど目的地のすぐ近くに海があったのでついでに海へ寄ったのだった。砂浜のあるタイプの海。岩のゴツゴツした海よりもこっちの方が好きだ、波の音が優しい気がするし、気軽に寝っ転がることだってできる。

海を見ていると安心する。正確に言うと、延々と押し寄せては引いていく波を眺めていると安心するのだ。こんなに大きな規模で、一定の間隔で絶えず波を発生させることはものすごくエネルギーのいることだろう。これがもし、人工によるものであったら、夜間は休止したり、点検のために停止したりだとか、そういうことがたびたびあるのではないだろうかと思うのだけれど、自然界にはそれはない。波が、止まることはないのだ。

目をつぶって、しばらくして開いてもまだ波。その辺に寝っ転がって、時間をおいて眺めても、波。延々と波打つその様には意味なんてないのだろうし、そういう意味のないことを延々と繰り返している、こちらの期待を裏切ることは決してないというところに、絶対的な安心感を覚えるのであった。

そんなことを考えつつ波を眺めていると、ただ波を眺めているのは海に対して失礼なのかもしれないという疑念が湧き上がり、何のためらいもなしに靴下を脱ぎ波を浴びた。それは9月にしては思いの外冷たくなく心地よかった。引き潮に引きずられそうになるあの薄っすらとした恐怖、そのまま立っていると足元がどんどん削られて沈んでいく落ち着かなさ。どれを取っても最高だ。海はいい。この現代において一人の人間に世界の途方もなさを全身で感じさせることのできる極めて最適な手段だ。

 

濡れた足はタオルで拭いてはいけない。何故ならタオルが砂だらけになってしまうから。乾いた砂の上を歩いていたら、足は勝手に乾いてくれる。そして乾いた砂を手でこすって落とせばいい。