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せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

「犬のおまわりさん」論考

寝れない。いっこうに眠れない。眠る、という行為を脳内の広い広い部屋、のところどころに無造作に現れる糸を一本一本引いていって部屋を少しずつ暗くしていくという作業だと仮定すると、まず糸自体が見当たらない。という眠れなさ。つらっ。

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今日はわたしの好きなうた「犬のおまわりさん」について書きます。これは佐藤義美という詩人・童謡作家が今から半世紀前に作詞したもの。作曲は大中恩という作曲家。

まずこのうたの素晴らしいところは、その世界観、というか想定されている世界。まず猫、犬、が出てくるわけだけれど、二番ではカラス、スズメも出てくる。四つ。四つもの異なる生物が独立した主体として現れているわけであって、何やらこの世界には様々な種類の生物がそれぞれある程度対等な個人として在るのだなぁと思う。
対して、わたしたち人間の暮らす世界、というのは基本的にはたかが一種、ホモ・サピエンスしか存在しないわけです(住む地域によって肌の色のちがいや、体格のちがい、というのはあるけれどもそれは種というレヴェルには全然達しないほんとにほんとにわずかな差異)。これはある意味でうらやましい、楽しそうである。生物多様性とか言いつつ結局はわれわれ、人間は人間のことしか考えてないわけよね、それを犬のおまわりさんの世界ではいろいろな生物が本当の意味で多様に存在していて、なんていうかそれは大変なのかもしれないんだけど素晴らしいことなのかもしれないなぁ、とか思う。多分けっこう大変だと思うけれど。

そして、おまわりさん。おまわりさんというのは警察官というわけであって、つまりこの世界には「警察」的なものが存在するのである。これはけっこう凄いことで、裏を返せば「警察」的ものが必要とされる社会が構築されているということよね。たぶん長い歴史のなかで、紆余曲折あったのだと思います、「警察」が正しい解だとは思わない、思わないけれども彼らはきっとそのあたりで落ち着いた、というかいちおう合意形成がなされたという約束をしているのであろう。犬のおまわりさんの仕事ぶりから見るに、それなりには機能しているのであって、たぶんそれなり、それなりの生活を彼らはそれなりに普通にこなしているのかなぁとか思ったりね。

内容については、迷子になってしまったと思しきこねこちゃん、を犬のおまわりさんが発見、そしてなんとか助けてあげようとするわけよね。っていうのはわれわれ人間にとっては警察官職務執行法第三条に規定される「保護」、ということになります。
まぁそんなことはどうでもいいのだけど、保護者のもとへ返そうとおうちを聞いたりなまえを聞いたりするわけだけれどこねこちゃんはなきわめくばかり、にゃんにゃんにゃにゃん。ここからが本当にすばらしいなぁ、と心底思うのですけれどもこのおまわりさん、困ってしまったのでわんわんわわん、とないた。
おまわりさん、という社会的役割を与えられた存在が、困ったのでわんわんわわんとないた。腹が減ったのでご飯を食べた、というのと同じくらいのレベルでこのおまわりさんはそうしているわけ。いやぁこれはまいった、恐ろしく文学的、っていうかそもそもこういう理屈が通用する世界なのかもね。

こねこちゃんはないてばかり、にゃんにゃんにゃにゃん。こりゃもうお手上げ、ならワイも一丁ないたろっか、わんわん、わわん。どや、合唱みたいで楽しいやろ、あんたのなきごえは猫やからにゃんにゃん、ワイは犬やからわんわんと来たか、ありゃ単純明快。お、なきやんだ、え、おじさんおかしいって、いやぁおかしいか、こまってもないたらアカンもんなぁ、ないたって何にも出てきやしないもんなぁ、あははは、あはは。