せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

気持ちたちを動かしていくということ

 悲しいことがあった日は悲しい顔をしよう。誰とも話したくない日は誰とも話さないようにしよう。そう考えても結局、笑ったりしてしまうし、誰かとおしゃべりをしてしまうし。そうできるということは、本当は悲しくなんてないんじゃないか、と思って、本当に悲しいということはどんなことなんだろう、どういう気持ちなんだろうと一晩中考えてみたりしてやっぱり、そんなことを考えるということは悲しいなんてことはないのだなあと思ったりした。

 楽しいことがあった日は楽しい顔をしよう。誰かと話したい日は誰かと話すようにしよう。そう考えても結局、むすっとしてしまったり、誰とも話さなかったりするし。そうしてしまうということは本当は楽しくなんかなかったんじゃないか、と思ってしまって、わたしは本当に楽しいと感じていたのだろうか、楽しいということはどういうことなんだろうと考えてしまって、そんなことを考えるということは楽しいということは本当は存在しないんじゃないかなんて思ったりした。

 悲しい気持ち、楽しい気持ち。こんな気持ちたちを把握して、だれかと共有したりするということはどういうことなんだろう、と夜な夜な考えた。わたしにとって楽しいこと、それが本質的に楽しいことであったかは定かではないのだが、を知覚し、言葉にしてだれかに話すということは本当に奇跡的なことだ。そんな人の数だけ存在する、楽しさ、悲しさ、のかたちを誰かに伝えたり、表現したりするということは奇跡的なことである気がしてならないのだ。
 今日はこんな悲しいことがあった、こんな楽しいことがあった。そんなことをたくさん話したり、話さなかったりしたい。今日はトマトを上手につぶせたことが楽しくって、悲しいことは、あったような気もするけれど誰にも言わなくって。

午前四時半の静寂と四畳半の閉塞

 午前四時半の静寂と四畳半の閉塞が溶け合うバルコニーの夜に交わる煙が世界との架け橋だったころ、この世のすべてをわかった気になって君だって連れさってどこへだって行けるって信じていたころ。
 ころころと転がっていくビー玉のような心をコントロールするのは難しい、混沌として昏倒しそうな日々を思想ひとつで乗り切ることだ、それは言葉、にしたらあっという間に崩れ去る刹那、うぶな感覚もすっかり鈍ってしまって愚鈍な夕暮れにストーンと落ちる、鈍角三角形であるために研ぎ澄まされた鋭角を併せ持つ感性は慣性力では動かずにつねに加速し続ける膨張宇宙、空中で点滅する三色の灯りがエンドレスにループしてはループ量子重力理論に取り憑かれた苦学生のように不確定、暗くて、どこへも行けないような日々のなかでひび割れた心から現れたさらわれた気持ちがいつの間にか舞い戻った。
 この深淵な夜空をひもといてしまった人はもう戻れない深海を彷徨う深海魚、身体の、すべてを研ぎ澄まして見えた宙に浮かぶ飛行物体エックス、まるで地球とセックスするように一体化し続ける惑星にワープホール、つかの間の永遠を神経の先端で味わう、交わる、粘膜のあたたかみを知って吐息の煙幕のなかで幻覚か現実かわからない連日で、中身を求めたくなって折りたたみできない翼で夢に逃避行。

無限の可能性という名の布団の中で眠る

 無限の可能性という名の布団の中で眠る、巡る季節に想いをはせながら平和を祈る、まあとにかくこれ以上悪くなることはないから安心しな、邁進しな、と自分に言い聞かせる、飛び交う罵声と葛藤のころ中二、道徳の授業中にフリースタイルラップ、不道徳きわまりない独特なスラングが飛び交う、飛び出す、飛び出せ動物の森からあぶれた獣どもが夢のあと、16分音符で構成されたボングで音楽を吸う、流れるセロニアスモンク、スモークで鼓膜が震える瞬間を逃さず味わう、間違うことを恐れないアニマルたちの盛り場、たとえば生きてるか死んでるかもわからないシュレーディンガーの猫のよう、行ったり来たり繰り返してまた戻っては毒ガスにやられた六月の月を夢見る電気羊、アンドロイドが見た月の裏側のクレーター、それは学生街春を謳歌する学生の、覚せい剤ばりのオーガスムよりも速く急降下する思想のエスカレーターのように。

かなしいことがあった日は煙を吐き出すように歌い出す

 気づけばあっという間に時間はたち、わたしは裸足で二十歳の原点に立ち返った、振り返った朝の八時、駅前コンビニ前に煙が立ち込み、立ち読みをする月曜日の朝の大名行列、大脳に情熱と冷静の間にこだまするプラットホームは未完成、形而上学的で音を置き去りにする新幹線、光と同じスピードで聞かせ、響かせてくカセットテープ擦り切れてもまだ流れる、音よりも強くあふれる、モノレール東京湾へそのままダイビングしてタギングだらけガードレールも曲がり出すよなこの轟音、go on気づけばあっという間だったな、頭の中ではわかったつもりのことが消化できず積もり山となり崩れるのは時間の問題だ、本体はここに置いていく心があれば十分だからな、体と体でぶつかるよりは精神と時の部屋で語り合う、この言葉は文字にするよりも口にした方がだいぶ早い、迂遠だ、無限だ、コミュニケーションとアルファベットである程度は宇宙とひとつになれるだがその先は未知数で道筋すらもないのさ、毎朝、この曲がりくねった世界の最短距離を行く。

口ずさむことでコントロールする混沌を楽しむ

 音楽と煙、居眠りしてたら気づけばこんな時間、視姦されすぎて街を歩くのも困難でこんなんで毎日はいいのかって言い聞かせても稼いでもなくなるお金の価値を疑う、ところから連なる言葉は生まれる、打たれる、洪水のような雨と香水の香り、温水になっていく尻の穴用シャワー、シャワー通りいつも通りビール片手にベンチ座り眺める大通公園からの人の流れの中で奏でていくのは言葉でも音楽でもない何か、はにかむ街を歩く人々もいまは天使のように見えて電子レンジで温めて変える遺伝子配列、イメージは止まらないから排泄、するように言葉を吐き出す。
  吐き出す、マイナスからプラスに変えるように掻き出す、電極に挟まれた脳内の猛毒は消毒、できずに怒りでも悲しみでもない孤独、と一言で言ってしまえばそれはあまりにも脆く、すごろくみたいな人生で行ったり来たりを繰り返しまた振り出しに戻る、その一方で記号で世界とわかりあえるというのは甚だ盲目、毎日の日々のすべてが分岐点でスイッチアップダウンを繰り返して飛び出した列車、レールからはみ出て常軌を逸した蒸気機関車トーマスと正気の沙汰でないナイトフィーバーは止まらない。
 勝ち組、負け組、を気にするあまりに果汁グミの美味しさも忘れてビレバンで買ったハリボーで組み立てられた張りぼての高層ビル群をすり抜け妄想昼と夜の間の集中豪雨、のなかで体を洗うスコールは凍る、そして凍結した路面の前に人は無力になり響き渡る除雪車の音は怪獣、白夜に唸りだすゴジラ五時だ、気づけばいつも朝と夜が入り乱れる時間で怠惰な日々のなかで跨いだ空間の亀裂を埋めるように溢れて。