せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

悲しくなって泣くこともあれば嬉しくなって泣くこともある

 悲しくなって泣くこともあれば嬉しくなって泣くこともあるでしょう。

 そのどちらも素晴らしいことで大切なことだと思って、それは本質的にどのように違うのだろうと思うのだけれどもよく考えたら本当はそこに違いなんてないのかもしれなくって、ただ自然と涙が出て、そこに嬉しくて泣く、悲しくて泣く、感動して泣くだの、都合の良い分類をするのはあくまで便宜的なことであって、自らの感情を言語化して説明することで感情をコントロールできているかのような気持ちになれるということがいちばんの理由であるような気がしてならないのであった。

 

 赤ちゃんはよく泣く。寝ていても泣くし、起きていても泣く。なるほど赤ちゃんは言語を操ることができない。泣くことで意思を表し生命活動を維持しようとするのはたいへん理にかなっているが、彼らもまた次第に歳をとり言語を覚え、感情を表現できるようになると泣く頻度も少なくなり、ついには大人になればほとんど泣くということもなくなる。

 

 しかし、ではなぜ大人になっても涙が出ることがあるのだろうと思う。言語により、感情を表現できるのであれば、涙など必要ないのではないだろうかとも思うのに、その機能は失われることはなくって、人は涙を流し、むせび泣くこともある。大人というのは、感情を言語により表現できる存在だ。しかし不思議なことに、時には自然と涙が出てしまうことがある、そしてその涙に後から理由をつけあれこれ説明をするのだ。言語によって。