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せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

突発的な感情、夕暮れ

 窓際で、煙草を吸っていた。煙草に火をつけると、となりに腰掛けていた犬は、ゲホンゲホンと咳をしながらどこかへ行ってしまった。悪いことをした。
 いつものように煙を吸い込むとわたしもむせてしまった。そうだった、この煙草は拾ったものだった。いつもは一ミリのメンソール煙草しか吸わないので、だからわたしも、犬もむせてしまったのだろうか。

 この煙草は、とある山奥で拾った。急に人里離れたところへ行きたくなった。車を二時間ほど走らせて着いた、人里離れた山奥にある小さな人里は奥ゆかしく、すてきなところであった。いくつかの商店と宿、民家が固まって存在していた。
 村の端には車を駐車できる場所と、車両通行止めの看板があった。ここから歩いて行くと川や登山道があるらしい。吊り橋にも渡れるようなので、せっかくだからと、歩いた。
 ここまで来たのだからと歩いてみたは良いものの、意外と長く険しい道のりだった。おまけにあと一、二時間もしたら日が暮れてしまう頃。今のところ誰一人とすらすれ違っていない。だからと言って引き返すわけにもいかないので、道を急ぐ。貧乏性なのだ。途中に長く暗いトンネルがあって、煙草はその中に落ちていた。
 前を見ても、後ろを見ても誰もいなかった。というか、一本道なので後ろを見る意味はあまりないのだが。箱の中にはまだ中身のほとんどが残っていて、こんなところに置いておいたらすぐ湿ってしまうと、拾った。道中で人と会ったら落としていないか聞いてみよう。
 しばらく歩いたり、登ったり降りたりすると、吊り橋があった。正真正銘の吊り橋だった。最後に吊り橋を渡ったのは果たしていつだろうか、と思ったが、よく考えるとこれが人生における初めての吊り橋かもしれなかった。人生初の、記念すべき吊り橋。貧乏性でよかったと思った。
 駐車場へ着く頃には薄暗くなってしまい、人影もない。しょうがないので、煙草は持ち帰ることにした。この辺の山奥にはきっと交番なんてものは存在しないはずだ、などと言い訳をしつつ。

 ふと、自然の刺激を受けたいという気持ちがおこり、このように辺鄙なところへと遠出をすることがある。そしてそれは突発的であるので、出発は往々にして遅く、着いたころには夕方ということもしばしば。困ったものである。
 さらに自然の刺激とは別に、文化的な刺激を受けたいと思うこともある。こういうときはとりあえず、音楽を聴いたり本を読んだりするのだが、それでも満たされないときは書店や、喫茶店や、博物館などへ行く。それでも満たされないときは、やっぱり、東京に行くしかないのだろうなと思う。漠然と。
 漠然とした悔しさが身体中をつつむ。何がどう悔しいのかというのはうまく説明はできない、東京にカルチャーが集約しているということが悔しいのか、いやそんな単純な話でもないような気もする。とにかく悔しいのだ。悔しいのだけれど、結局、そんなことはすぐに忘れてしまう。突発的な悔しさなのだ。

 煙草を吸い終わると、また犬がやってきた。鼻が良いのだ。さっきは悪かったねと頭をなでてやる。そんな、夕暮れ。