せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

九月十六日の日記

九月十六日

なんていうか午前という時間帯は大半を睡眠に費やされてしまうわけであってもったいない。だいたい、深夜2時か3時、っていうのはもう午前なわけなのだけれどこれはどうも午後の延長のような気がする、そのくらいに布団へ入ると目が覚めるのは10時とか11時台、だなんてのはザラで、こうなるとこの一日で午前を味わえた時間はほんの1時間程度ということになるわけ。この辺になるともう、お昼ごろと言っても過言ではなく。お昼ごろに目が覚める。お昼ごろに目が覚めるとわたしは午前をひとつも味わうことなく一日を終えてしまうことになるのであった。悲しい。

どうしたら午前を味わえるのだろう。それは、早起きをするということに限ります。こんなことは、本当に分かりきったことで、こんなに偉そうに書くことなんかじゃあないのだけれど。
そうね、夜の10時くらいには布団に入って、灯りを暗くして、なにか本を読んでいたらいつの間にか眠りが訪れて、朝になるというのが理想。それはまだ朝の6時ごろで、どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、庭の芝は水滴を帯びて朝焼けの空がきらめく。わたしはうんと背伸びをしたあと、まだ肌寒い朝の空気を思い切り吸い込んで。部屋に戻ると、コーヒーを淹れて、トーストをつくって。あれこれ支度を終えたりしてもまだ8時前、そのくらいで、午前の残りの4時間というのはなんだかすてきなオマケのような気がする。

わかった。わたしのこの午前への憧れは、単に早起きをしたいということだ。早起き。早起きへの憧れ。毎朝仕事や家事や学校で、早く起きなければいけない人にこんなことを言ったらひんしゅくを買うかもしれない。早起きしなくちゃいけない人たちは、早起きに憧れを持ったりなんてしないだろうから。

ところでこの「ひんしゅく」という文字列は、とてもかわいい感じがすると思います。大抵の大人は、これをパソコンや携帯電話で入力するときは漢字で「顰蹙」と書くのだろう。でもきっと彼らの多くはこの漢字を読めても、書くことはできないだろうし、そんなのってズルじゃないかと思います。なのでわたしは「ひんしゅく」と書きます。ひらがなのひんしゅくは、買ったとしてもなんだか許してもらえそうな気がします。

これから寝て、起きたら、奇跡的に朝の6時でありますように。美味しい朝の空気をたくさん吸い込めますように。