せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

海はどこへつながっているんだっけ

 時間を持て余す年寄り、常連という雰囲気のあるトラックの運転手、自動車で旅行をしたい家族や恋人同士、バイクや自転車で旅行をしたい若者。これらによって主にフェリーの乗客は構成されている。スーツを着たビジネスマンというのは、目的地へ着くまでに丸一日を要するような国内線のフェリーには存在しない。時間が無駄だからだ。もしかしたら、飛行機がどうしても駄目で、出張のたびになんとかお願いしてフェリーで行く、なんて人もいるのかもしれない。いや、そういう人は新幹線や特急を乗り継いで行くのだろうな。いずれにせよフェリーは、車で移動をしたくかつ目的地に着くまでの時間を短縮したい人、あるいは単に時間を持て余している人、により構成されている。

 さてさてこのフェリーの中で人びとは何をするかというと、部屋や広間でよくわからない衛星テレビ番組を見るか、延々と酒を飲むか、薄暗いゲームコーナーに置かれた十数年前のパチスロ機に興じるか、初めて聞いたようなタイトルが放映される映画上映会に足を運ぶかのいずれかである。もしくは寝る。優雅な洋上ではあるが所詮はこの程度しか選択肢はない。海を横目に本を読むのも乙であるが、船酔いをする人にはこれはおすすめしない。しかも船は揺れていてつねにどこかから振動音やきしむ音が響いているので集中できないかもしれない。家にいる時間からインターネットを引き算したものと言えばイメージが湧きやすい。どんなに頑張ってもパズドラもモンストもできないのだ。もしかしたらオフラインでもできちゃうのかもしれないけど。そこで人びとはしょうがなく、上記のいずれかを行うこととなる。

 

 移動手段には大きく分けて二つがある。移動する間に見える景色が大きく変化していくものと、あまり変化しないものだ。車や電車による移動は前者で、後者としては飛行機やフェリーがある。飛行機はまだいい、国内であればほんの一時間少々の間だから、居眠りをしていたらすぐに目的地であるが、フェリーの場合はそうはいかない。それは居眠りをするには長すぎるし、延々と同じような海を眺めているのも酷なことである。鳥や魚がたくさんとんでいるわけでもない。

 たまに、鳥を見かけることがあるのだが、彼らはいったいどこからどこへ向かっているのだろう。このあたりに陸地はないはずだが、疲れないのだろうか。疲れたら洋上へ浮かんで休めば良いのか、魚も取れるし。タフな奴らである。

 しかしそう考えると不思議なことは、海の波面には一つとして同じものはないはずで、つねに景色は変化している。しかし人はこれを変化とはあまり言わないだろう。どうして電車から見るそれはより変化していると言えるのであろう。脳内で対象物の大きさや色彩の変化の度合いによって区別されているのかもしれない。たしかに、北海道の十勝なんかの一本道を走っていると不安になることがある。ひたすらに同じような風景が続いていて、自分はもしかしたらずっとここを走り続けることになるのかもしれないという錯覚に陥る。そんなことはないのだけれど。延々と変わらないものを見続けるとき、そこにある深淵に手を引かれているようで人は、不安になるのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらぼんやりと海を眺めていると、プカプカと浮かぶ球状の灰色の物体があった。ビーチボールか何かだろうか。それは移動しているはずなのに、水上に固定されているように見えた。そして二秒後には視界から消えた。それが何であったか確かめる術はない。無力である。

 海は広いな大きいな、という歌が昔あった。いや、今でも歌われているのだろうけれど。たまに、夏なんかに海へ出かけて、BBQや海水浴なんかをしてぼうっと海を眺めて「海は大きいなあ」だなんて考える大きさは結局は羊蹄山は大きい、というのと同じレベルであって、それは想像力の範疇を超えていない大きさだ。しかしこうして船上から海を眺めていると、なんていうかそれはもっと絶望的な大きさであって、人類がどうこうできる類のものではないのだと思う。思わされる。羊蹄山くらいだったら、人類の英知を総動員させれば消滅させることができるかもしれない。できないのかな? わかんないけど。しかし、海をなくそうと思っても、そんなことはこの文明が今後何万年も続いたとしても不可能であると思うし、そんな発想自体が馬鹿らしいと思う、それほどに圧倒的な存在感を誇る海。

 海を前にした人間の無力さを知った大人になれてよかった。漁師の人なんかはもっともっと知っているのかもしれないけれど。これくらい知れたら充分である。しかしそう考えると、海よりも宇宙というのはもっともっと、たとえば線と面を比べるように、比較するのも意味をなさないくらいに巨大なものであって、さてどうしようと思うので考えないことにする。宇宙のことを考えている人は偉い。