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せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

そこは世界の着地点としては遠すぎた

「明けない夜がないのと同じように」などと人びとが語るとき、彼らは夜は明けるものだということを、暗に仮定している。一抹の疑いもなく。明けない夜がないように辛い日々もいつかは終わる、のではなくって、辛い日々がいつかは終わるように明けない夜もない、が正しいのだ。本当は。

 今日も疲れた一日であった。もはや疲れなのかなんなのか風邪なのか精神の病なのか単なる過労なのかよくわからんがとにかく疲れた。身体が重い。しかしこんなことを言っても疲れるだけ、暑いときに暑いと言うと余計に暑くなるそれと同じなのであってならば疲れてないとでも言えばいいのか、そんな根も葉もないことが言えるか! わたしは疲れている。お疲れ様です、という挨拶を人はこんにちはのように使うわけだけれどもそこにいちいち言の魂を吹き込めて発するわたし、本当に疲れている人の「お疲れ様」の重みを感じるが良い。

 なんてことを言っても疲れがとれることはない、疲れを取るために何か文章を書く、救いを求めるなんてことがあり得るわけはなく、疲れているときに文章なんて書いたらさらに疲れる。でもなんて言うんだろう、健全な疲れと不健全な疲れというのがある、グラウンドで3000mを走り終わったあとの疲れはとても健全だった、中学生の頃、無理やり長距離部門に引き込んだ小池くんがばてているのを爽やかな笑顔で眺めるのは楽しかった。そういった健全な疲れは不健全な疲れを駆逐するのかもしれない。

 そもそも。幸せな瞬間は持続しない。瞬間、という言葉じたいが表すようにそれは点のように存在するものなのだ。その最中では線のように認識されていても、記憶として存在するのはつねに点だ。零次元的な存在だ。それに対して不幸の記憶は一次元的な存在である、ような気がする。

 辛いのはみんな同じなんだ、などという妄想に惑わされてはいけない。