せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

気持ちたちを動かしていくということ

 悲しいことがあった日は悲しい顔をしよう。誰とも話したくない日は誰とも話さないようにしよう。そう考えても結局、笑ったりしてしまうし、誰かとおしゃべりをしてしまうし。そうできるということは、本当は悲しくなんてないんじゃないか、と思って、本当に悲しいということはどんなことなんだろう、どういう気持ちなんだろうと一晩中考えてみたりしてやっぱり、そんなことを考えるということは悲しいなんてことはないのだなあと思ったりした。

 楽しいことがあった日は楽しい顔をしよう。誰かと話したい日は誰かと話すようにしよう。そう考えても結局、むすっとしてしまったり、誰とも話さなかったりするし。そうしてしまうということは本当は楽しくなんかなかったんじゃないか、と思ってしまって、わたしは本当に楽しいと感じていたのだろうか、楽しいということはどういうことなんだろうと考えてしまって、そんなことを考えるということは楽しいということは本当は存在しないんじゃないかなんて思ったりした。

 悲しい気持ち、楽しい気持ち。こんな気持ちたちを把握して、だれかと共有したりするということはどういうことなんだろう、と夜な夜な考えた。わたしにとって楽しいこと、それが本質的に楽しいことであったかは定かではないのだが、を知覚し、言葉にしてだれかに話すということは本当に奇跡的なことだ。そんな人の数だけ存在する、楽しさ、悲しさ、のかたちを誰かに伝えたり、表現したりするということは奇跡的なことである気がしてならないのだ。
 今日はこんな悲しいことがあった、こんな楽しいことがあった。そんなことをたくさん話したり、話さなかったりしたい。今日はトマトを上手につぶせたことが楽しくって、悲しいことは、あったような気もするけれど誰にも言わなくって。