せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

「おなかのへるうた」論考

「おなかのへるうた」という童謡があります。こう書くと、なんだか歌うとお腹が減ってくる歌なのかしらんとか思ってしまうけれど、どうしておなかがへるのかな〜、というあれです。お腹とお腹がくっついてしまうあれ。

作詞は阪田寛夫、作曲はこの間の「犬のおまわりさん」論考でも名前の出てきた大中恩です。 おなかのへるうた - Wikipedia

前々からこの歌は幼児教育の観点から非常にけしからんなぁと思うところがあって、ぶつぶつ独り言をいつものように言っていたりしてたのですが、
とか、
とかを見て、おおこりゃ急いで筆をとらなあかん!と思ったわけどす。

何が言いたいか。それは、
「なかよししててもへる」ことがあるという事実は、「けんかをするとへる」という言説を否定する根拠として何ら機能しない
ということです。

問題となるのはこの歌の一番目(二番目もだいたい同じ話なのだけど)の、「けんかをするとへるのかな? なかよししててもへるもんなぁ」という部分。
上のTwitterの発言でも言及のあるように、この部分については、A:「喧嘩をすると必ずお腹が減る」という仮定を、B:「仲良ししててもお腹が減ることがある」という事実により否定または批判しているという構造に読める。
しかし、である。このA、Bは論理的にまったく矛盾せず両立しうるのである。

仲良し、という状態は喧嘩をしていない、という状態の中に含まれる一つの状態だと思って良い。仲良しな状態というのは喧嘩をしている状態とは同時に起こり得ないので、仲良しな状態のときのこと、お腹が減っただの減らないだのそういうこと、をいくら並べてみても、Aを否定する根拠にはならないのである。

残念ながらこういうロジックは巷に溢れている。AならばB、というある言説を話しているときに、「これは裏を返せばAじゃないならBじゃないということなんですう!」みたいなことを堂々と言うやつまでいたりする。その裏が正しいか、というのは最初のAならばBということからは全然従ってきません。高校数学風に言うと、命題とその裏の真偽は必ずしも一致しない、というやつです。

たぶんみなさん(作詞者含む)は、Aを上述のように裏をとって、A’:「喧嘩をしないなら必ずお腹が減らない」と読み替えて、これがAと同値なように無意識に考えてしまっているのかと思います。そうすると実際、B:「仲良ししててもお腹が減ることがある」はA’を否定する根拠になります。しかしAはA’と一致しないので、Aを否定する根拠にはならないのです。

(“ふつうの”論理世界に生きるわれわれにとっては、だいたいこういう“りくつ”になっています。もっとよく知りたい人は学部向けの記号論理学のテキストなんかを読むとスッキリするかもしれません)

まちがった論理観を幼児期に与えてしまうことになるこの忌まわしき「おなかのへるうた」を、これ以上語り継いでいくことは非常に危険なことだとわたしは思います。知性あふれる21世紀に生きるわれわれはここで、勇気を出して「真・おなかのへるうた」を高らかに歌うべきでしょう。ここまでお付き合いくださったみなさまには、きっとその歌詞がすでに浮かんでいるはずです。それでは。

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「真・おなかのへるうた」
どうして おなかが へるのかな
けんかをすると へるのかな
けんかをしててもへらないことも あるもんなぁ
かあちゃん かあちゃん
おなかと せなかが くっつくぞ