せかいとことば

世界は言葉によってつくられているし世界は絶えず言葉を生み出しているし。雑多な文章をつらつらと。

リハビリ

なんとなく、なんとなく帰りのセブンイレブンで購入した限定醸造琥珀エビス、を飲む。たいへんおいしい。わりと日本のどこでも手に入るビール、の中ではエビスが一番すきだなぁ、なんていうか、エビスはやっぱりちょっと贅沢なビールなわけですよね。プレミアムモルツもおいしいけど、なんかこれはビールとしてのバランスがあまりよろしくない気がする、それはどうでもよいが。
まぁ、350ml缶ひとつじゃあ物足りない、という気持ちになったわけで。ビールって本当においしいよなぁ、ああビールが飲みたいなぁ、買いに行こうかな、ということを考えながら冷蔵庫をふと開けたらこの前買って結局飲まなかったドラフトギネスがあって。よっしゃあと歓喜するわたし。こういうのはほんとうに幸せ。ところで缶のギネスって飲むたびにあれこんな味だっけ、と思う。なんか薄い。たぶんオシャレなお店で飲むギネス、というかその雰囲気がおいしくさせるところがあって、たぶんだいたいのギネスはこういう味なのかもしれない。

ビールに関してもうちょい話すと、発泡酒。あれは本当に存在意義がわからん。発泡酒とか、第三のビールとか飲むくらいなら飲む回数減らしてちゃんとしたビール飲めよ、あるいはそもそも飲むなよ、と思うわけです。
しかしよくよく考えるとそこまでビールに固執していないがビール的なものが飲みたい、くらいのレヴェルの人にとっては発泡酒は安上がりでかつ充分なものであるのでしょう。もしくは、金銭的に日常的にはビールが飲めないので、発泡酒で我慢してる、という人もいるでしょう。どちらにしろ、私は発泡酒をビールの下位互換、くらいにしか認識していないのだけど、そういう考えはあかんよねぇ、暴力的よねぇ、と。


いやいや前置きが長くなった、っていうかもしかしたら前置きが本論なのかもしれへん。のだけど、よおしビール飲むぞ!と言って飲むビール、よりも、悩みつつ飲むビールとか最初は飲みたくなかったけどなんとなくなりゆきで飲んじゃったビール、みたいな方が私にとっては断トツで美味しく感じます。なんていうか、後者にはとても背徳的な感がある。ある種毎晩風呂上がりに習慣もしくは半ば義務として飲むビールまたは発泡酒第三のビール、みたいなものとは対極にあるわけよね。そりゃうまいわ、特別だわ。
でもしかし、そういうシチュエーションは得てして望めば得られるというものでもないのだ。背徳的な気分でビール飲みたい、とか思ってもそう思っちゃう時点でもはや背徳的な気分でビールは飲めないわけです。
なのでどうしたらよいか。結論は、ビールをそんなに飲みたくない気分、あるいは飲んではいけないときにとりあえず無理してビールを飲んでみること。ビールというのはたいそう美味しいものなので、飲めばだいたい飲んでよかったなぁという気分になるので、背徳的な気分を味わえること請け合い。